April 24,2009

ここ数日の好天に恵まれたためか、我が家の庭にある一本のブナの木に昨日から急に若葉が芽吹き始め、正に木々の息吹が感じられる今日この頃です。常緑樹は別にして、自宅敷地内の樹木で毎年一番先に緑の葉を開いて春の生命力を感じさせてくれるのがこのブナの木です。秋には最後に緑の葉を落として冬の到来を知らせてくれるのもこのブナの木です。
ギリシャの哲学者:プラトンが「一番大切なことは単に生きることそのことではなく、善く生きることである。」と述べています。ある解釈によると「よく生きるとは、一生懸命に生きる、充実した生活を送ること」、「良く生きるとは、夢や目標をもってよい結果を出せるように生きること」、「善く生きるとは、人や社会のために善いことをする、人を愛すること」、「好く生きるとは、自分にとって好ましい生き方をすること」とあります。
つくづく“善く生きる”ということは、大変なことだと感じています。プラトンの言う“善く生きる”には、「よく生きる、良く生きる、好く生きる」の三つも含まれているのではないかと思っています。つまり「一生懸命に生きる、充実した生活を送ること」「夢や目標をもってよい結果を出せるように生きること」「自分にとって好ましい生き方をすること」「人や社会のために善いことをする、人を愛すること」ことだと思います。
山さんには、この年になってもどれもまだまだ難しく、「よく生きるとは、一生懸命に生きる、充実した生活を送ること」からの実践を第一に始めようと思います。ただ何となく生きるのではなく、自分が行きたいように生きては行くが、他人に迷惑をかけることのないように心掛けていきたいものです。強いて言えば、自分流の生き方、自分が望んで努力することによって自分が満足できる生活であれば嬉しく思います。そのことが自分の幸せにつながってくれれば申し分ありません。

まだまだ「善く生きるとは、人や社会のために善いことをする、人を愛すること」とは縁遠い毎日の生活ですが、人を愛する、他人を愛する心だけは少しでも持てているかな?と自負しています。後は、人や社会のために善いことをする実践に努力をしたいものです。せめて、人や社会のために悪いことをしない生き方さえしていれば少しでも近づけるはずです。生きていくことは大変なことですね!
April 14,2009
早くも新年度を迎えて4月中旬を過ぎようとしています。退職4年目の山さんには全く関係がありませんが、新聞やテレビ等の報道で入学式とか新体制がどうのこうの・・ということを知り、日常の動きの変化を知るだけです。転勤等の挨拶状もわずか2枚届いただけです。
昔から「人間は生まれていつか土に返っていく」と言われてきました。山さん達がまだ子どもだった頃は、今では考えられない土葬の時代でしたので、親戚に亡くなった人がいれば棺桶に入れたまま墓に大きな穴を掘ってそのまま埋めたものでした。言葉通りに、そのままの姿で土に返していたわけです。
今回はタイトルに書いたように、山さんも歳とともに土に親しむようになって来たような気がしていますので、その近況報告をさせてもらおうと思います。考えてみれば、30代後半まで草花になかなか目が向かず、せっかく貰った花に水をあげるのも忘れて枯らしてしまっても平気でした。40代頃から少しずつ花を育てる気持ちになったのか、自分の教室に鉢花を置いて世話をしたり自宅でも花を育て始めていたような気がします。
最後の勤務校では、若い担任の教室で育てていた鉢花が萎れたり育ちが悪いと、「この鉢を入院させて下さい。お願いします。」と持って来て、元気にさせてから教室に返してあげていました。子ども達がそれを知って自分の教室から持って来たりもしました。まさか自分がここまで草花の世話をするようになるとは思ってもいませんでした。

現在は毎日が日曜日なために、花壇や花・木等の鉢を世話して一日が過ぎてしまいます。おかげで一日1万歩は軽く突破でき健康のために感謝しています。昨日、自宅にある花や木を植えている鉢を数えてみたら、何と500鉢近くもありました。いつ増えたのか自分でも分かりません。まだまだ増えそうです。家内には呆れられていますが、育ててみると本当に可愛いものです。新芽や新しい葉を開いて蕾が膨らみ、それぞれの花が咲くのを見るのは嬉しいのです。
花や木を育てながら土と触れ合い、いつか自分もその土に同化していくことでしょう。命あるものは必ず土に返るのですから今からその土と触れ合っているのかもしれません。

花や木の世話をして思うことは、世話のし過ぎや水のやり過ぎでダメにしてしまうことが多いことです。何故か?子育てに似ているような気がしてなりません。植物の生命力は本当に強いもので、かなりほったらかしても生きています。子どもも世話をし過ぎて気持ちの弱い人間にしてしまっているのではないでしょうか?命あるものは本来、強いということを忘れたくないものです。