May 10,2010
コラムを更新できないでいるうちに、近年では珍しく5月の天候に恵まれたゴールデンウィークも過ぎ去ってしまいました。我が家の庭で一番先に新緑を感じさせてくれる一本のブナは、今が盛りに青々とした多くの葉を繁らせています。花壇にも少しずつ花が咲き始めています。


さて、4月の末と5月の始めに結婚式に招待されて、久しぶりに華やかな二人の門出に立ち会うことが出来て感激でした。特に4月の結婚式は私の所属する男声合唱団の指揮者の結婚式でしたので、団員による企画と運営、団員総出のセレモニーとなり尚更でした。
誰の言葉かは不明ですが「結婚は、焦るな慌てるな時期がある」というのがあります。この言葉を引用したのは、我が合唱団の指揮者は40代でようやく結婚が決まったからなのです。真面目で酒は飲めず合唱と結婚したのでは?と皆から言われ続けてきましたが、お世話をした方がビックリするほど一回で二人ともOKとなったそうです。
世話をした方も知っていますし、彼の結婚相手(新婦)は小さい頃から知っていました。またその両親とは高校の同期でもありましたのでこれ以上の嬉しいことはありませんでした。今回の結婚式だけは、「結婚は、焦るな慌てるな時期がある」の言葉通り心から喜べる内容の式でした。
二人のお世話をして仲人を努めた方は、結婚式の挨拶の中で「私も結婚が遅く30代後半で皆から心配されましたが、今ではとっても幸せな毎日を送っています。彼はそれ以上に遅い結婚となりましが、必ず私の2倍も幸せな結婚生活を迎えることでしょう!」と話していました。
結婚は単に「早いから幸せ!」、「遅いからかわいそう!」ということはないのです。その人達はちょうど今、結婚する時期だったのではないかと思いました。実は4月にあるOB会に出席したところ、これまた40代で最近結婚をした彼が皆さんに報告をしていましたが、「結婚がこんなにもいいものだとは知りませんでした。これを知っていればもっともっと早く結婚するのでした!」とニコニコ顔で報告をして大喝采を浴びていました。
彼も真面目な仕事人間で、なかなか結婚をしないので皆が心配をしていたのですが、何が縁だったのかは聞けませんでしたけれどもやっぱり今が結婚をする時期だったのでしょうか?こればかりは誰にも分かりません。いくら焦って結婚のお世話をしたり、慌てて勧めてみてもその人にとって結婚の時期でなければ縁がないのかもしれません。
そういう私達は25歳と23歳で結婚をしましたが、それも私達夫婦の結婚の時期だったのではないかと思っています。二女一男の子どもが授かり二人の娘は仕事を持って結婚をしています。なぜか30代の息子だけは、まだ結婚の時期ではないのかまだ一人で勤めていますがこれも仕方がないことです。親がどうこうする今はやりの婚活で頑張る気もありませんし、そうしたところで素直に従う息子ではないことを良く知っていますので仕方がありません。
結婚式に出席すると何だか自分も幸せな気分に浸ることが出来るので嬉しくなります。5月の結婚式も30代同士でしたが、この二人もやっぱり今が結婚の時期だったのだろうと考えて出席させてもらいました。これから結婚される方も時期だけは逃さないで下さい!お願いしますよ!
April 5,2010
3月のコラムを追加出来ぬままに新年度を迎えてしまいました。新しい2010年にすれば4ヶ月目、22年度となれば新たなスタートでもあります。それぞれの学校を卒業された方々は、新たな進学や就職で新しい生活が始まっていることと思います。また、3月で定年を迎えてノンビリされている方、再就職された方、転勤や人事異動で心新たに頑張っている方々にとりましては、何か少しでも良い方向が見えますことを願っています。
さて、今回は「賢こい鳥はとまる木を選ぶ」という言葉について書いてみたいと思います。この言葉は、昨年11月に三沢市で『禅にきく人生』という講演をされた曹洞朱大本山總持寺前貫首(現在:福井県越前市にある御誕生寺住職)の板橋興宗禅師という82歳になられる方の言葉です。本人は現在、ガンを発病されて第四ステージという末期ガンの状態で闘病中だそうですが、驚異的な精神力と信仰心で御健在です。今年度に入ってから、板橋興宗禅師自身が作成された暦を知人から分けてもらった中にあったのがこの言葉です。

賢い(本人は「賢こい」と記述)鳥は、天敵から逃れるためや餌を見つけやすい場所を選んだ上でそのに木にとまっているのでしょうか?説明がないので分かりませんが、そんな目で鳥が木にとまっている様子を見ますと、どの鳥も賢そうに見えてくるから不思議です。言えることは、鳥にも賢い鳥とそうでない鳥とが存在するらしいということです。その前提でなければこの言葉は成立しません。これからは、とまる鳥の木の位置を見て鳥をじっくり観察してみたいものです。
それでは、私達人間に当てはめるとどんな言葉になるのでしょうか?「賢い人間は、賢い人間を選ぶ?」「賢い人間は、役に立つ人間を選ぶ?」「賢い人間は、金を選ぶ?」「賢い人間は、権力を選ぶ?」どんな言葉を当てはめてもなぜかピンときません。当てはめるのは、どう考えても無理のようですね!
そうでなくても、昔から「類は友を呼ぶ」という立派な言葉があります。最近では、ちょっと拡大解釈をして「類は類を呼ぶ」も普通に使われているようですが、人間はなぜか自然と似たような考え方をする仲間が集まってくるものです。人間集団では、何か特別な目的を持ってその集団に入ってきた方は、何処かで誰からともなく気づいて、本人が気まずくなって自らその集団を去っていくので、「類は友を呼ぶ」「類は類を呼ぶ」になってしまうのでしょうか?
人間の賢さは、その人の職場における地位や役職でもなく、その人の人間としての他人への思いやりや気遣い、心配り、機会を見ての言葉がけなのではないかと思っています。言い換えれば、他人への思いやりや気遣い、心配り、機会を見ての言葉がけなどの回数?ではなく、どんな場面でそのことがどれだけ実行できたかが賢さのバロメーターになるのでしょうか?
この問題はこの程度でお許しいただき、後は皆さんで自由に考えてもらえれば幸いです。それだけでもこのコラムの役目を果たせたかな?と自己満足をしている私です。

昨年は4月26日に思いがけないたくさんの濡れ雪が降って、大変な目に合いました。我が家の庭にも雪の姿を見ることはなく、道路沿いの花壇にはたくさんのクロッカスが白い花を咲かせてくれています。今こそ春よ来い!ですね。
March 8,2010
暖冬と言われた割に例年になく雪が多く、寒さの厳しい毎日からようやく解放されたかと思う今日この頃です。我が家の築山にも二年ぶりにかわいいきれいな黄色い福寿草の花が一輪咲いて春の訪れの近いことを知らせてくれています。

我が家で今年もお雛様を飾りました。

3月は平成21年度の締めくくりを迎えるので、各職場や行政ではその締めくくりの総括に忙しい日々を迎えていることと思います。私も昨年4月より「三沢市協働のまちづくり市民会議」のメンバーとして2年間携わり、いろいろと学ぶことの多い一年間に感謝しています。
私達の取り組んでいる市民会議も2月の会議で一年間のまとめをすることになり、今月23日(火)に中間報告の形で市長へ報告することになっています。来年度が最終年度ですので、あと一年間を掛けて最後の話し合いを続けて最終報告書を完成させることになります。
そこで、「まちづくりは人づくり」について考えて見たいと思います。“まちづくりの基本は人づくり”というのはその通りだと思います。さて、人とは一市民であり各職域に勤務する人々、各種団体(NPOを含む)や行政に勤務する人々総てを含むことになります。
あえて今、なぜ?協働のまちづくりなのか?ということですが、三沢市が平成20年度から24年度まで『三沢市総合振興計画(前期基本計画)』を策定し、その中で基本理念として「人とまち みんなで創る 国際文化都市」を掲げ、上記の「三沢市協働のまちづくり市民会議」を発足させたのです。メンバーは学識経験者、社会福祉関係者、連合PTA、漁協及び農協職員、連合町内会、商工会青年部、観光協会、民間企業、青年会議所、民間活動団体代表者、公募委員からなる16名です。アドバイザーとして八戸大学の前山教授、市の担当課は広報広聴課でスタートした会議です。
現在、何処の自治体も出来るだけお金をかけずに、市民や各種団体が協力して市の発展に協力をしてほしいとう時代の動きの一環だと思います。単なる “まちづくり”ではなく“協働のまちづくり”にしてあるのが憎いところです。協働ですのでその言葉通りの意味ですが、市の説明によれば~「みんなで創る」とは、行政だけではなく、NPO、町内会、各種団体、個人や家庭等とそれぞれの特徴を活かした役割分担のもと、協力してまちづくりに取り組むということです~とあります。言葉は違いますが、「みんなで創る」=「協働のまちづくり」のことだと思います。
この一年間の会議を経て感じたことは、私達市民に協働のまちづくり意識を持たせることは市民の人づくりとして大事ですが、市役所職員である行政の協働のまちづくりに関する意識の高揚は大丈夫なのだろうか?ということです。市役所の一つに過ぎない広報広聴課だけが担当してこの大きな取り組みである「協働のまちづくり」が軌道に乗るだろうかという懸念が残ります。
『広報 みさわ』1月号に市民会議で決定した「協働のまちづくり」の基本理念を“市民一人ひとりが輝き参加し、心ふれあう個性豊かな協働のまちづくりを目指します”としました。皆様も是非、積極的に協働のまちづくりに感心とご意見をいただければ嬉しく思います。市の職員も含めてあらゆる職域や団体、個人の多くが「協働のまちづくり」に関心を示してくれることこそが三沢市の広い意味での人づくりになることと思います。
February 24,2010
二月は私にとって、何かと忙しい日々が続きました。上旬には親しくさせてもらっていた元同僚で、何かとお世話になっていた方が70歳をちょっと過ぎたばかりで急逝されました。癌を克服されて十数年も素晴らしい文化活動を活発にされていた方でした。本当に残念でなりません。三沢市にとってもまだまだ必要な方で、多くの方々がお通夜に来てくれていました。
中旬に久しぶりの海外旅行へ出かけて来ました。カンボジアの世界遺産アンコールワット遺跡とベトナムのハノイにある世界遺産ハロン湾等の観光です。

カンボジアとベトナムは隣国ですが、その生活レベルの違いにビックリしてしまいました。どちらも内戦や戦争を繰り返してきた悲惨な歴史のある国同士ですが、カンボジアの田舎は、私達の小さかった頃よりもまだひどいのではないかと思ったほどです。一方、ベトナムは日本やフランス、アメリカと戦って独立した逞しさからなのか、カンボジアよりは活気があり動き出した頃の中国に似たような思いで見てきました。
前置きが長くなりましたが、現職の頃に子ども達へ月一回、必ず話さなければならなかった内容の一例を思い出して書いてみます。1年生(6歳)から6年生(12歳)までに分かるように話さなければならないので、毎月大変な苦労をしたものです。「私達人間には、どうして口が一つで耳が二つあるのかな?」という内容でした。口は自分の思った事や考えを話して相手に伝えるため、耳はいろいろな音や人の話す言葉を聞くためだということは、話せば1年生から6年生まで分かってはくれました。
なぜ、口が一つで耳が二つなのかはなかなか分かってもらえませんでした。私が本で読んだ「自分で話した事の二倍の事をよく二つの耳で聞くようにしなさい、と言うことですよ!」と説明すると1年生でも分かってくれました。旅行中に若い女性添乗員にこの話をしたら、とっても興味を示してくれました。添乗員はツアー客をより安全に案内するために、二つの耳をフルに働かせて多くの事を聞き分けなければなりませんので大事なことです。
これと関連する言葉をたまたま旅行中に読んでいた本の中に見つけました。それは、物理学者、随筆家、俳人でもある寺田寅彦氏の「眼は、いつでも思った時に閉じることが出来るように出来て居る。併(しか)し、耳の方は、自分では自分を閉じることが出来ないように出来ている。何故だろう。」と。これも大変に味のある言葉ではないでしょうか?
自分の眼で見るか見ないかは自分で判断できますが、聞くか聞かないかに関係なく聞こえてきますので、自分なりに聞いた内容を取捨選択して自分のために活かさなければなりません。考えてみれば、人間の体のつくりはそれなりにきちんと意味があって、手足や指、口、眼、鼻、耳の数や付いている位置関係等も理由があるだろうと感心しながら納得している私です。
私達は日常生活の中でも、自分の話した内容以上に多くの事に耳を傾けて、心から聴く姿勢を持たなければいけないことを考えさせてくれるいい言葉だと思います。

我が家の君子蘭が、室内で早くも花を開き始め日一日と春の近いことを知らせてくれています。アンコールワットの写真も一枚だけ掲載させてもらいました。
January 19,2010
大変遅くなり過ぎましたが、ちょっと控えめに~今年もよろしくお願い申し上げます~
新しい年を迎えたのになかなかコラムを更新できずちょっとあせっているところです。
さて「一年の計は元旦にあり」と言いますが、今年の私にとっては「一年の計は今日にあり」
ですね。このコラムを元旦に掲載できれば「一年の計は元旦にあり」で良かったのですが・。
いろいろ調べて見ますと「一日の計は朝にあり」とか「一年の計は春にあり」「一生の計は少壮の時にあり」などたくさんあります。いずれにしても、計画は早めに立てて目標に向かい一生懸命努力することの必要性を伝えているのだろうと理解しています。戦国武将の毛利元就は「一年の計は努力にあり」と言ったそうです。少し意味は違いますが「努力に勝る天才なし」の努力という点では同じでしょうか?総ての計画は努力なくして達成できないということですね。
皆様はもう既に「一年の計は元旦にあり」で、今年の計画と言いますか、取り組むべき事が決まって新しい年の今日を迎えていることと思います。

さて、この私も今年は思い切って新しい事に挑戦することにしました。それはピアノ教室に通うことです。昨年から「来年も何か新しい事に挑戦しよう!」と考えていましたが、なかなか決まらず、昨年の暮れになってようやく「よし、ピアノ教室に通おう!」と決心をして、今月の7日(木)よりシニアピアノ教室?と言っても私一人ですが、ピアノを習いに来ている子ども達や同伴の保護者に不思議そうな目で見られながら毎週通っています。

考えてみると退職1~2年目は料理教室とパソコン教室、2~3年目はフラワーアレンジメント教室とロード自転車に挑戦、4年目はハーモニカ、そして5年目の今年はピアノ教室と続けてきています。どれも極めるというのではなく浅く広くですが、それでも学んだ事を自分の日常生活に少しでも役立てているつもりです。
料理は日常的にしないので家内に笑われていますが、一人の時は総て自分で作って片付けても苦になりません。パソコン教室に通ったおかげでこのコラムを担当させてもらったり、会員制ブログでマイフレンドができて訪問し合ったりもしています。フラワーアレンジメントは自宅の花を使って時々、玄関前に飾って自己満足をしています。ロード自転車は健康のために春から秋までいい運動になって助かっています。ハーモニカは三沢に愛好会を結成して、少しずつ活躍の場を広げています。
ピアノは何処までやれるかわかりませんが、簡単な曲を伴奏付きで弾けるように練習中です。現在は、「500マイル」と「おおスザンナ」を練習中ですが、両手を同時に動かすことの大変さを嫌というほど味わっています。指を使うので頭の老化防止にもきっとなるだろうと、その効用にも期待しているところです。
自分の事だけを書いてしまいましたが、新年のスタートに免じてお許し下さい。皆様もそれぞれの計画が、普段の努力によって達成されますことを願っています。
December 12,2009


師走を迎えた10日(木)、久しぶりに室内のワックス掛けを始めた。合間に外で作業をしていたら、自宅前の国道を年老いた女性が一人、この寒い日にコートも着ないで肩をすぼめヨタヨタと歩いていたのが目に入った。
妻に話して自宅に連れて来て話を聞くと「自分の家に帰るところで、足が痛くて疲れて寒い!」とブルブル振るえている。よく見るとサンダル履きのままでした。暖かいお茶を飲ませたら「暖まった!ありがとう!」と言って喜ぶ。
名前と自宅の場所だけしか分からないので、知り合いに電話すると「その方の実家も親戚も今はない」とのことで、警察に電話をして来てもらいました。
簡単に言えば、この方はあるディサービスからバスに乗って我が家の隣の町内のバス停(自分の生まれた町内)で降りて自宅に行こうと思ったが分からなくなり約4キロ以上を一人で歩いて来たのです。
北原白秋作詞『この道』の歌詞「この道はいつか来た道」ではないが、私達もいつこのような状態になるかも知れないと考えさせられた一日でした。「この道はいつか来た道、いつか来る道」で誰もが避けては通られない、年老いてから歩むことになるかもしれない道なのだとつくづく思いました。
私の母も数年前に一度、同じようなことがありましたので人事ではなく、お互い様だと思いました。でも無事で良かった!
December 3,2009
ついに一年の最後を飾る師走を迎えてしまいました。この冬は温暖とかの予想も出ていますが、政治や経済の状況と同じでいつどうなるのか悩む所です。
さて最近、三沢タイムズが県内で注目されてきていることを大変嬉しく思います。それは、三沢の街を損得抜きでPRし活性化させたいという思いが伝わってくるからです。こんな応援隊がもっともっと三沢にほしいものです。
今回は誰の言葉かはっきりしませんが、「この世の中に同じ事を考える人は百人いる。その事を口に出して言う人は十人、実行する人はわずか一人しかいない」ということについて書いてみたいと思います。
確か私達も新聞やテレビ等を見ながら、「あ?私もそう思った!そう感じた!」と思うことが良くあるものです。また会話の中や会議の席で、「この人は私と同じ考え方をしている!」と気づくこともあります。
自分の考えている事や思っている事を口に出して発言出来るということは、簡単に思えてなかなか容易ではありません。この言葉からすれば、自分の考えている事は、単純に九十九人の賛同者がいると思っていいということです。あとは、その考えやアイデアを口に出してまで言えるかどうかです。「こんな事を行ったら人に笑われるのでは?」と思えばつい口を閉じてしまいたくなります。
ましてやその事を実行するとなれば、いろいろ困難な問題や人間関係が生じてきます。声に出して人前で発言するだけでも勇気が必要なのに、実行、実現することがいかに大変なのかが良く分かります。
おそらく発明や発見をしてきた方々、もしくは新たな事業、組織、団体などを起した方々は、そんな多くの悩みやしがらみを断ち切っての結果ではないでしょうか?ただし、その根本には人のため、社会のために役立つものであってほしいものです。ただ自己満足のための実行・実現者では、悲しい気がします。
今、三沢市では“活気あるまちづくり”に行政を始めとして、NPOを含む種団体、組織、個人などが懸命に取り組んでいます。
その中でこの三沢タイムズも三沢市を盛り上げるために、創刊以来努力をして現在に至っています。これもわずか一人の想いある実行者あってのことです。だからこそ今、三沢市のいろいろな分野を紹介するインターネット情報誌『三沢タイムズ』が注目を浴びているのではないでしょうか。
我が家の庭の木々は、ほとんど黄色に染まり葉を落として淋しくなりました。その庭を見ながら、ちょっと意味は違いますが「先ず隗より始めよ」という中国の言葉も思い出しています。誰でもいいから気が付いた人から何かを始める、実行するということの大切さを感じてなりません。


November 12,2009
昨日は朝からクレマチスの白い花を眺めながら、秋の深まりを楽しんでいました。我が家の庭や花壇の花がめっきり少なくなり、わずかに残って咲いているコスモスと菊の花類ぐらいです。その花々を材料に、趣味のフラワーアレンジメントを楽しんで飾り一人で喜んで過ごした一日でした。


自分でアレンジした花を見ていたら、私の大好きな“感謝”と“ありがとうございます”について書いてみたくなりました。この二つの言葉は大好きで、いつも一番多く使っている言葉です。ただ、“感謝”は、文章に書く時がほとんどで、“ありがとうございます”は、口頭でお礼を言う時に使うことが多いです。
私の書く文章の何処かによく“感謝!”という言葉が出てきます。手紙を出す時や会員制のブログへ日記を書く時も同じで、ついつい知らず知らずのうちに使ってしまいます。自分の文章や手紙を読んでくれて“ありがとうございます”という気持ちが伝わるように“感謝!”の言葉を書かなければ気が済まないのです。
自分では安易に“感謝”という言葉を多用しているつもりはありませんが、日常生活のどんな場面にでも“感謝”無くしては過ごせません。その気持ちを文章で伝えるには、どんな言葉を使うよりもこの“感謝”の一言がピッタリするのです。物を送ってくれた方、手紙やメールをくれた方に対しての返事にも必ずこの“感謝!”の一言を書きたくなります。
また一方の“ありがとうございます”は、文章で使うより自分の口で声を出して言えば気持ちが伝わるので良く使います。これが“感謝”だとどうも短すぎて味気なく申し訳がない気がしてなりません。
“感謝”も“ありがとうございます”も同じような意味の言葉ですが、もともとこの二つの言葉は使い分けをするために出来たのだろうと思います。 “感謝!”と“ありがとうございます!”をお互いに使いあっていれば、仕事でも家族でも人と接する場面での交流が円滑にいくと思います。
“感謝”と“ありがとうございます”の言葉は、自分のその日の行為に対しても他人への尊敬と思いやりに対しても、常に心をこめて使えるように努力したいものです。
November 10,2009
我が家の庭はもうすっかり秋を終わろうとしていますが、何故か?今年はクレマチスの花が狂い咲きをして、二度目のきれいな白い花を咲かせてくれています。3日に昨年よりも2週間ちょっと早い初雪が降ってからの晴天続きで、春を感じたのでしょうか?サボテンも今、二度目の花を咲かせています。


古い朝日新聞を読んでいたら『天声人語』に表題の「往(い)く言葉が美しければ、来る言葉も美しい」という素晴らしい言葉に合いました。韓国の諺だそうですが、なんと日本的な感じのするいい言葉だろうと思いました。
この執筆者は、続けて<~日本の「売り言葉に買い言葉の裏返しだが、前向きなのがいい。~」>と書いていました。日本の言葉の裏返しと対比されるのは、自分としてはちょっと淋しいのですけれども・・?
私達の相手に発する言葉や行動というのは、やさしい言葉や思いやりのある行動、行為であれば、相手からも同様にやさしい言葉や思いやりのある行為が返って来ることが多いものです。以前にも書いたような気がしますが、相手に「こいつは嫌なヤツだなあ~!」と思って接すれば、相手も同じように「こいつは好きになれそうにないなあ~!」という反応を感じることがあります。
反対に「貴方を好きですよ!」という気持ちで接すれば、相手も「私も貴方が気に入りました。」という感情をもつような気がします。
私達人間は、一人では生きて行けません。必ず家族や姉妹、親戚、知人、隣近所などの方々と関わって、お互いに助けられたり助けたりしながら毎日の生活を続けています。ですから韓国のこの言葉「往(い)く言葉が美しければ、来る言葉も美しい」が心に響いてきます。人としてのやさしさ、思いやり、心遣いの言葉や行為、行動によって、毎日の生活が心豊かに過ごせるとしたら有り難いことです。
早いもので、来月は今年を締めくくる12月を迎えることになります。私達も少しずつ一年の反省やまとめ、心の整理もしなければなりません。いつも思うことですが、やさしさや思いやりは一番身近な人に対して出来なければ、本当の意味での他の人に出来るはずがありません。もし出来たとすれば、それは本物ではないのではと思います。私は一番身近な妻に対して実践することから始めます。さて、皆様はどなたから始めますか?もう既に実践していますね!
October 26,2009
どうもこの頃、コラムへの原稿を気にしながらアスナロ(翌檜)の木ではないが「明日こそ書こう!明日こそ書こう!」と思いつつ今日を迎えてしまいました。もう10月も終わろうとしている今、月日の速さに驚いています。
よく使われる言葉に、「花には水を、人には愛を!」があります。この言葉は、私も大好きなのでいろいろ調べてみましたが、誰の言葉全く分かりませんでした。人によってそれぞれアレンジしながらよく使われている言葉です。
例えば「花には水を、人には心を!」「花には水を、人には愛を、人生にはユーモアを!」「花には水を、妻には愛を!」などまだまだたくさんあります。それほど好んで使いたくなる言葉のようです。
確かに花に水を与えなければ死んでしまいますし、与え過ぎてもやはり死んでしまいます。どんな人にも愛が必要ですが、花と同じで愛を与えなければ前に進めなかったりすることがあります。でも、人によっては、愛を与え過ぎることによってかえってダメにしてしまうこともあります。“水”も“愛”も必要ではありますが、与え方やその程度が大事なのではないでしょうか。
私が教頭に昇進した時、中学校の恩師が自分で描いた絵に「花には水を、人には心を!」のこの言葉を添えた額を届けてくれて感激したことを忘れられません。今も私の書斎に飾ってあります。その時からこの言葉を知って大好きになりました。恩師は、現在77歳を迎えますが、お元気で保護司の活動をされています。先月も同級生の山小屋の完成パーティーをした時にお招きして、一緒に楽しく過ごさせてもらいました。
自分にとって大好きな言葉というのは、人とは違った勇気や励まし、慰め、思いやりなどを心に与えてくれるものです。人によっては、自分の好きなその言葉で人生を立ち直ることができたということも聞きます。私がこのコラムを書くきっかけになったのも、自分で気に入った“光る言葉”を職員用に紹介したことがスタートでした。
最後に、恩師からその時に戴いた額と秋を感じる我が家の庭の写真を掲載しましたので、押し付けみたいで気が引けるのですが、ちょっと眺めてもらえれば幸いです。

